習慣化ができたら人に評価してもらう必要があるよねってお話
どもども。
つゆきです。
さて、今日で毎日投稿14日目を突破したわけなのですが、自分の記事の内容の無さにガックリきています。
そもそもなんで毎日投稿をする事にしたかというと、そうしないと続けられないとわかってたからです。
僕は以前もブログを始めようとサーバーを借りてドメインを取得して、結構本格的に準備をしていたいのですが、3日投稿しただけで終わってしましました...
理由は簡単で、みてくれる人がいなくて投稿しようがしまいが、なんの反応も返ってこないからです。
だからなんのモチベーションもなくて、動機付けにもつながらなかったから習慣化に至らなかったわけなんですね。
そういう理由で、リアクションが返ってくるのを期待できないなら、自分が投稿したくなる仕組みを作るしかないと思って、毎日投稿をすることにしたのです。
効果はテキメンで、2週間も毎日投稿できてしまうともうその記録を潰したくないと、体が自然とPCに向かってくれるようになりました。
で、とりあえず定着とは言わずとも、ある程度の習慣化ができてきたかなーという感じなので、次のステップにいかないといけないですね。
以前の記事からずっと書いているのですが、記事の質をアップデートしないといけませんね。
多分これまでの記事は、どこかのブログだったり自己啓発本に書いてそうな内容だったので、もっと自分の言葉で自分の考えを発信していかないといけません。
そこで必要になるのが「人の評価」ですね。
僕としてはあんまりいい記事を書いているつもりがなくても、ある人からみればいい記事だって言ってくれる可能性もあるわけです。
でも、それは実際に読んでもらって聞いてみないとわかりませんよね。
どんなものでもそうですけど、モノの価値は相対評価で決まります。
ピカソの絵画だって、それを絶賛してくれる人がたくさんいるから何億っていう価値がついているわけです。
メディアだったり、大衆の評価を全く得ていない状態でだとしたら、たとえ道端に転がっていたとしても、「ただの落書きじゃないか」と誰も見向きもしてくれないでしょう。
もしかすると「これは素晴らしい!」と価値を見出してくれる人がいるかもしれませんが、だからといってそれをオークションにかけたら何億っていう値で売れるわけはありません。
常に見出すことができる価値というのは、客観的な事実しかありません。
先ほどのピカソの例でいうなら、ピカソ本人は生涯でたくさんの作品を残したことで知られていて、ギネスブックにも登録されています。
以下、ウィキペディアからの引用です。
生涯におよそ1万3500点の油絵と素描、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、最も多作な美術家であると『ギネスブック』に記されている。
高い低いに関係なく、多くの作品を残したという価値は絶対的に存在しています。
しかし、それが素晴らしいかどうかとなると、やはり相対的に判断されます。
多くの作品を残せてすごい、となるのか、むしろその時間をいい作品を作る事に注力すべきだった、など評価は割れてしまいます。
つまりは、僕が毎日記事を投稿をするという「価値」はあったとしても、そこに高い低いを見出すなら人に評価をしてもらわないといけないわけです。
僕にとっては今のところ、毎日投稿は「価値があった」と思っています。
内容に関しては、僕はあまりいい評価は下せません。
ですが、いずれにしても人に見てもらってこそ記事には価値が生まれます。
いろんな人に見てもらえる工夫をこれから考える必要がありそうです。
ということで今日はこの辺で。
今日もお相手はつゆきでした。
つゆき