毎日更新やめますってお話
どもども。
つゆきです。
いきなりですが、毎日更新をやめることにしました。
理由は色々あるんですけど、毎日更新をする理由があんまりないっていうことです。
でも前に毎日更新する方がいいっていう話してたじゃないかー!!と突っ込まれそうですが、ちゃんと理由があるんで聞いてください。笑
その時は、毎日更新する理由として「習慣をつけるため」ということを挙げたのですが、どうやら僕はそのハードルはクリアできたようです。
一応16日連続投稿なので、2週間は続いたことになります。
人の習慣が定着するのは66日ということだそうなので、あと50日近くも残っているんですけど、そこはこの16日と書くことが楽しいという感情を信じて、次のステップへ進みたいと思っています。
それは、「質のいい記事をアップすること」です。
毎日記事を書いていて、「中身がないなぁ」と思っていました。
この記事を見てくれた人が、果たして次の日の記事を楽しみにしてくれるだろうかと、結構悩んでいました。
なので、記事をアップするペースを週1回まで落とします。
その代わり次の記事が見たくなるような、良質な内容で、文章にもちゃんと意識を回した記事を書きたいと思います。
ということで、次の更新は来週金曜日の22時になります。
それまでいい記事が書けるように、毎日頑張ります!!
ここで分かった人もいらっしゃるかと思いますが、PCの前には毎日座って文章を書いていると思います。
ただ、アップしないだけ。
僕の毎日ブログ書くという記録は続くわけです笑
ということで今日はこのへんで。
今日もお相手はつゆきでした。
つゆき
スマホは早い頻度で新しいものに買い換える方がいいよってお話
どもども。
つゆきです。
職場の人に見せるとびっくりされるんですけど、僕はスマホを2台持ちで使っています。
一つはXperia XZ1 Compactという3年くらい前のスマホ、もう一つが新しく買ったXperia1です。
Xperia1を買うまでは、iPhone6s Plusを使っていて、小さいメインスマホのXZ1 Compact、大画面のiPhoneという感じで使い分けをしていました。
つまりはサブスマホを買い替えたってことですね。
で、びっくりしたことが色々あったんで、今日はそれをシェアしていきたいと思います。
まず、Xperia1のCPU性能について語っていきたいと思います。
ピンとこない方に説明すると、CPUっていうのはいろんな情報を処理するための機械のことです。
人間で例えると脳だって言われるんですけど、いまいちよくわからないですよね。
厳密には少し違うと言われそうですが、ざっくりと言ってしまうと、CPUの性能がいいと、アプリを立ち上げたりインターネットでページを表示させるのが早くなります。
で、Xperia1はSnapdragon855っていう今のスマホ業界でもトップクラスに性能がいいCPUを搭載しています。
で、今日のタイトルには少し語弊がありましたね。
正しくは「スマホは早い頻度で、より性能が高いCPUを搭載したものに買い換える方がいいよ」になります。
今僕と同じiPhone6sを使っている方がいたら、店頭に並んでる試用スマホを触ってみてください。
ブラウザを起動するスピードが段違いです。
多分1秒くらい早いです。
しかも、立ち上げるための時間だけじゃなくて、新しいページに進んだり戻ったりする時も0.5秒くらいXperiaの方が早いです。
まぁ当然も当然で、6sは2015年のスマホなのに対してXperia1は2019年のスマホですから性能は段違いなわけです。
でもスマホって毎日使うものですし、特にインターネットは皆さんめちゃくちゃ使うと思います。
それが1秒早くなったり0.5秒早くなったりできたら、積み重ねていくととんでもない時間になります。
仮に、1日にブラウザを5回立ち上げて、30ページみてるとしたら21秒節約できることになります。
1日21秒節約できたら、3日で1分、30日で10分、360日で120分節約できる計算です。
スマホを新しくすると1年で2時間余分な時間が生まれるんですよ。
しかも、これはネットをした時だけの計算ですから、ネット以外にもゲームをしたり、音楽再生ソフトを立ち上げたり、いろんなアプリを使うのに時間が短縮されます。
ストレスも減るし、時間もできるし、いいことづくめです。
僕もこれからは、年に一度はメインかサブか、どちらかのスマホを新しく性能がいいスマホに乗り換えようと思います。
比較的新しいスマホだったら、メルカリやヤフオクで売ってもある程度高い金額で販売できますしね。
まぁ、ガジェットが好きなんで、いい言い訳ができたなと密かに喜んでいるのは内緒です。笑
ということで今日はこの辺で。
今日もお相手はつゆきでした。
つゆき
一つでいいから秀でたことを持っておくとずっと役に立つだろうなぁってお話
どもども。
つゆきです。
IT業界に就職したくて勉強中の今なんですが、人にものをアピールする時には「仕事に直接役に立つスキル」ももちろん必要ですが「仕事には直結しなくても他の人と比較した時に頭ひとつ抜けている特技」も絶対に役に立つだろうなーと思った今日この頃です。
まさにさっき、Twitterでエンジニアを募集されている方がいたので「全くの未経験でプログラミングなんて全然わからないですけど、勉強するので採用してください」とメッセージを送りつけたんですよ。
採用されるわけないですよね。普通に考えて。
役に立たないことはもう既にわかっていて、これから勉強するかどうかもわからないし、勉強してもどれだけ伸びるかもわからない人材を、わざわざお金を払って教育してくれるような会社はたぶんないと思います。
でも、「他の人と比較した時に頭ひとつ抜けている特技」を持っている人だと話は変わってくるのかなーと思いました。
もちろん、必要な技術が飛び抜けて高い人が採用されやすいというのは火を見るよりも明らかです。
でも、「けん玉の世界大会で1位になりました」とか「今日着てる服は全部自分で作りました」とか「シンガーソングライターをやっててアルバム50枚つくりました」とかって言ってくる人は絶対に印象に残りますよね。
名前は覚えられなくても「そういえばけん玉すごい人が応募してきたよ」とか「服作る人が面接に来たなー」とかって強く印象に残ることができます。
で、そういう人って「結果を残した人」なんですよね。
普通の人が普通に生きているだけじゃ絶対に到達できない、何かに情熱を持って取り組んだ人っていうことが証明できるわけです。
つまり「継続して努力を続けられる人」であることが証明できるわけです。
そんな一面があったら「伸びるかもしれない」し「新しい事業に活かせるかもしれない」し「こいつを採用したら会社が盛り上がるかもしれない」などといった「未知の可能性」を感じさせてくれる人材になることができるのです。
もちろん、その業種によって評価は大きく変化するとは思いますが、少なくともマイナスに働くようなことはないと思います。
僕の目指しているIT業界は、転職市場として大人気で応募者は殺到しているようですが、未経験からの就業を目指している人たちって結局どんぐりの背比べなんですよね。
もちろん、現役プログラマの方がびっくりするようなポートフォリをを作成できる方もいらっしゃるとは思いますが、そんな人はごく一部なわけです。
すると、結局アピールできるのは、これからの伸び代の可能性だったり、これまでに努力してきたことしかないんですよね。
あとはどれだけ行動できるかです。
僕は、頭ひとつ抜けた秀でたことは「洋服に関する知識」だと思うので、これからの伸び代をアピールできるようなポートフォリオと一緒にアピールしていきたいなと思います。
ということで今日はこの辺で。
今日もお相手はつゆきでした。
つゆき
習慣化ができたら人に評価してもらう必要があるよねってお話
どもども。
つゆきです。
さて、今日で毎日投稿14日目を突破したわけなのですが、自分の記事の内容の無さにガックリきています。
そもそもなんで毎日投稿をする事にしたかというと、そうしないと続けられないとわかってたからです。
僕は以前もブログを始めようとサーバーを借りてドメインを取得して、結構本格的に準備をしていたいのですが、3日投稿しただけで終わってしましました...
理由は簡単で、みてくれる人がいなくて投稿しようがしまいが、なんの反応も返ってこないからです。
だからなんのモチベーションもなくて、動機付けにもつながらなかったから習慣化に至らなかったわけなんですね。
そういう理由で、リアクションが返ってくるのを期待できないなら、自分が投稿したくなる仕組みを作るしかないと思って、毎日投稿をすることにしたのです。
効果はテキメンで、2週間も毎日投稿できてしまうともうその記録を潰したくないと、体が自然とPCに向かってくれるようになりました。
で、とりあえず定着とは言わずとも、ある程度の習慣化ができてきたかなーという感じなので、次のステップにいかないといけないですね。
以前の記事からずっと書いているのですが、記事の質をアップデートしないといけませんね。
多分これまでの記事は、どこかのブログだったり自己啓発本に書いてそうな内容だったので、もっと自分の言葉で自分の考えを発信していかないといけません。
そこで必要になるのが「人の評価」ですね。
僕としてはあんまりいい記事を書いているつもりがなくても、ある人からみればいい記事だって言ってくれる可能性もあるわけです。
でも、それは実際に読んでもらって聞いてみないとわかりませんよね。
どんなものでもそうですけど、モノの価値は相対評価で決まります。
ピカソの絵画だって、それを絶賛してくれる人がたくさんいるから何億っていう価値がついているわけです。
メディアだったり、大衆の評価を全く得ていない状態でだとしたら、たとえ道端に転がっていたとしても、「ただの落書きじゃないか」と誰も見向きもしてくれないでしょう。
もしかすると「これは素晴らしい!」と価値を見出してくれる人がいるかもしれませんが、だからといってそれをオークションにかけたら何億っていう値で売れるわけはありません。
常に見出すことができる価値というのは、客観的な事実しかありません。
先ほどのピカソの例でいうなら、ピカソ本人は生涯でたくさんの作品を残したことで知られていて、ギネスブックにも登録されています。
以下、ウィキペディアからの引用です。
生涯におよそ1万3500点の油絵と素描、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、最も多作な美術家であると『ギネスブック』に記されている。
高い低いに関係なく、多くの作品を残したという価値は絶対的に存在しています。
しかし、それが素晴らしいかどうかとなると、やはり相対的に判断されます。
多くの作品を残せてすごい、となるのか、むしろその時間をいい作品を作る事に注力すべきだった、など評価は割れてしまいます。
つまりは、僕が毎日記事を投稿をするという「価値」はあったとしても、そこに高い低いを見出すなら人に評価をしてもらわないといけないわけです。
僕にとっては今のところ、毎日投稿は「価値があった」と思っています。
内容に関しては、僕はあまりいい評価は下せません。
ですが、いずれにしても人に見てもらってこそ記事には価値が生まれます。
いろんな人に見てもらえる工夫をこれから考える必要がありそうです。
ということで今日はこの辺で。
今日もお相手はつゆきでした。
つゆき
紙に書くっていのも結構大事だよってお話
どもども。
つゆきです。
動画編集講座の課題で、なんでも好きなものでいいから撮影して編集するっていう課題がでました。
なんでも、企画から構成、撮影に至るまでを考えて作品に仕上げるとのことです。
何がいいかなーって考えてたんですけど、色々悩んだ挙句、僕の好きな建物の映像を撮る事にしました。
今日はその話ではなくて、僕がその建物を撮ろうという決定に至るまでのお話をしたいと思います。
やり方はめちゃくちゃ簡単でした。
自分の頭の中にある「なんとなく撮りたいもの」を紙に書き殴っていくだけです。
僕は普段から紙の手帳を持ち歩く程度には、ものを書く事が好きです。
思いついた事だったり、記事のアイデアだったり、思いたったらすぐに文字に起こします。
スマホのメモじゃないところがミソですね。
紙に書くと、その時の自分の感情なんかもぶつけることができます。
ちょっと思いついたことくらいだったら、さらさらと普段通りに書きますが、めちゃくちゃいいこと思いついたー!!と思ったら結構な勢いで書いちゃいます。
あとで見返しても、この時はハイテンションだったなーとフラッシュバックします。
で、この紙に書くっていうことの何がいいかというと、もやもやしてた思考が消えて頭がスッキリします。
人間って意外と、悩み事があったとしても自分が何に悩んでいるのかをわかっていなかったりするんですよね。
「漠然とした不安」なんていうのはまさにそうですね。
特定の何かが不安なわけじゃなくて、何か嫌なことがあったら嫌だなっていう妄想。
そんな時に、自分は何を不安に思っているのかを書き起こしてみると、かなりスッキリします。
失業したらどうしようとか、結婚できなかったらどうしようとか、家が火事になったらどうしようとか。
実際に文字として対面すると、じゃあこうしたらいいかなとか、こうならないためにどんな行動をしたらいいかなとか、ポジティブな方向に物事を考えることができます。
極端な言い方ですが、自分の頭の中で考えている時は自分ごと、文字として対面すると他人事のように考えることができます。
「自分」というフィルターを通してしまうと、どうしても不安は大きくなってしまいます。
でも、その悩み自体は実はそれほど大きくないものだったりするんですね。
特に人間は「どうなるかわからない」というものに不安を感じやすいようです。
多分、不安に思っている時ってだいたいが「どうなるかわからない」時だと思います。
そんな時に、自分が不安に思っていることを文字に起こして、「自分はこういうことで悩んでいる」というのがわかれば、自然と不安は小さくなっていくと思います。
実際に僕は不安になった時はそうしています。
自分の悩んでいることや、不安なこと、考えがまとまらない時は、紙に書き起こして「自分」ではなく「紙に書き起こしたこと」を見つめます。
誰でも手軽にできて、頭もすっきりするのでぜひやってみてください!!
ということで今日はこのへんで。
今日もお相手はつゆきでした。
批判(非難ではない)をできなくなったら成長できないよねってお話
どもども。
つゆきです。
皆さんは批判って言葉を聞いてどんなイメージが浮かびますか?
「政治家の発言に批判の声が上がっている」みたいなことはニュースでもよく聞きます。
でも、批判って本当はもっと良い意味なんですよね。
Weblio辞書ではこのようになっています。
たぶん、今の日本でよく使われるのは2番だと思います。
でも、「批判」という言葉にはもっと良い意味があります。
それは1番の意味。
例えば、「批判的思考」なんていう言葉だと身近かもしれません。
ただ単に情報を鵜呑みにするのではなく、もっと深く捉え、多角的に物事を分析することを「批判的思考」もしくは「クリティカルシンキング」なんて言ったりします。
今日は、この「批判的思考」、つまりは「批判」がいかに大切かという事についてお話したいと思います。
人が成長するためには、同じことを繰り返したり、ただ言われるがままに行動しているだけでは意味がありません。
意味がないというより、大きく成長できないと言った方がいいかもしれません。
例えば、1時間かけて部屋を掃除してください、という仕事があったとして、一人の人は毎日言われた通りに1時間かけて掃除をする。
もう一人は、もっと早く掃除できる方法はないだろうか、と考えて毎日違うアプローチで部屋を掃除したとします。
すると、前者の方はただただ言われた通りに部屋を掃除するので、そこから得られることは少ないです。
後者は、もしかすると1時間以上の時間がかかってしまうかもしれません。
ですが、これが1年近く続くとどうなるでしょうか。
前者は、1年経っても特になんの変化もありません(もしかすると慣れという意味で早く掃除が終わるかもしれませんが)。
ただ、後者は部屋をもっと早く掃除できる方法を見つけ出しているかもしれません。
これは例え話ですが、皆さんの仕事にも当てはめてみてください。
僕のケースですけど、「前まではこうしていたから」とか「ここではこういうルールだから」というふうに言われると、とりあえず批判してみます。
そして、教えられたアプローチ以外の方法を考えてみたりします。
結果的に時間の節約になったり、同じ時間でより多くの成果が得られたりすると、もちろん上司は喜んでくれるわけです。
もちろん、教えられたアプローチが正しいこともあります。
色々試行錯誤して、これが一番いい方法だなと納得することもあります(むしろその方が多いです)。
でも、試行錯誤は全然無駄にはなっていません。
なぜなら、教えられたアプローチがなぜ一番いい方法なのかが具体的に理解できているからです。
同じように仕事をしていても、その仕事を批判的に捉えるだけで、成長具合は全然違ってきます。
いわゆる「生産性」っていうやつですけど、これは別に仕事に限った話ではありません。
例えば趣味でも、批判は役に立ちます。
釣りが好きな人がいたとします。
とりあえず、人に教えられるがまま、ポイントに行き、餌をつけ、言われた通りに糸を垂らしても全然釣れない。
そんな時に、「時間をかければ釣れるはずだ」と思考停止するのではなく「実はこの餌じゃ釣れないんじゃないか」と考えて餌を変えてみたり、ポイントを変えてみたり、自分でいろんな方法をトライしてみる人の方が上達は早いと思います。
一番いけないのは、「偉い人が言ってるから絶対に正しい!」と盲目的に信じ切ってしまうことです。
僕は大学時代に研究者になりたくて、いろんな先生とお話しましたが、僕のゼミの先生に言われた言葉がずっと頭に残っています。
「研究者になりたいと思うなら、自分以外は全て間違っているくらいに考えておきなさい」
確かに、研究という分野は、その目新しさや独自性が大きく評価される世界です。
いかに他者が優れていても、無批判にそれを受け入れることは決してしてはいけない行為です。
でも、それは実生活でも同じで、どれだけ確立している世界であっても、一度はNOと言わないと、それ以上の成長は見込めません。
僕も気をつけないといけないことですが、「無批判になる」というのは後退への第一歩かもしれませんね。
ということで、いつもは毎日投稿に関する話をするのですが、もうそろそろ必要ないかなと思います。
ここで書く事によって、自意識を高く保つことが目的だったのですが、結構ブログ記事を書く事に抵抗が無くなってきている気がします。
今日も、普段なら寝てしまう状況だったのですが、いいアイデアが浮かんだから書いておこうと、自然とPCに向かっていました。
できれば、Twitterアカウントなんかを開設して、そこで発信できたらなと考えています。
その時は、また記事の中でお知らせしますね。
ということで、
今日もお相手はつゆきでした。
つゆき
洋服は少ない方が幸せになれるかもってお話
どもども。
つゆきです。
テレビや雑誌なんかで紹介されてるミニマリストってすごいですよね。
お家に入ったら何もないみたいな。
そりゃ、机も椅子もソファも本棚も何もなくてただ空間だけがあるみたいな部屋で暮らしてる人ってインパクトが強いから、メディアは取り上げたくなりますよね。
そのせいでミニマリストってどこか遠い存在にも思えるんですけど、もっともっと実生活に落とし込んでいけばすごくいい考え方だと思うんです。
例えば洋服。
今日、僕の母親がお出かけするらしく、なんの服を着ればいいかわからないからと相談に乗ってたんです。
一応僕は腐ってもアパレル店員なので、あれやこれやとアドバイスをしたんですけど、びっくりしたのは母親の持っている洋服の数です。
男性と比較しても女性は洋服の量が多くなるのはわかるんですけど、それにしては多いなって思いました。
細かいアイテムも全部数えたら、多分100着は余裕でいってると思います。
当たり前ですけど、100着も洋服あったら何着るか迷いますよね。
それが楽しいっていう人は別にいいと思うんですけど、僕の母は完全に悩んでました。
で、あれやこれやと話して、結局30分かけてその日のコーデを決めました。
何度も言いますけど、その30分が楽しいならなんの問題もないんですけど、苦痛に思う人もいるわけです。
じゃあ、その時間を別の好きなことに回せたら嬉しいですよね。
どうすればいいかっていうと、ここでミニマリストの考え方が役に立ちます。
単純に洋服の数を減らしちゃえばいいんですよ。
僕も洋服の数はめちゃくちゃ少ない方です。
下着とか合わせても30着いくかなってくらいです。
アパレル店員といっても、僕はファッションが好きなんじゃなくて、洋服が好きなタイプなんで(ここはもうちょっと詳しく記事を書きたいと思います)持ってる服の1つ1つに強いこだわりがあります。
だからどの服を着ててもハッピーな気分になります。
それに、コーデを決めるのはめちゃくちゃ楽だし、時間もかかりません。
今日は友達と遊ぶからポロシャツで行こうとか、今日はデートだからシャツ着ていこうとか、今日はカラオケで座ってる時間が長いからゆったりしたパンツで行こうとか、それくらいの基準で洋服を決めています。
それだとダサく見えそうとか、同じ服ばかり着てると思われそう、と言われそうですが、全然そんなことないです。
詳しくはまた記事にしようと思いますが、ざっくりいうと「自分に似合う色を3色見つける」「その色しか買わない」「同じ役割の服を買わない」これを心がけるだけで洋服の数はかなり少なくできます。
少ないと何が良いかって、何度も言ってるように「迷わない」んですよね。
ミニマリストの人たちの言葉を借りると、「心がスッキリする」っていう側面もあります。
洋服以外にもいえることですが、「選択肢が多い」っていうのは「悩みが多い」っていうことにも繋がります。
もちろん、その「悩み」が「楽しい」であればいいんです。
僕も新しいスマホを買う時は、めちゃくちゃ悩みますけど、めちゃくちゃ楽しいです。
でも、それが苦しい人にとっては、選択肢を減らすのも一つの手段だと思います。
それを極めていくと、ミニマリストっていう生き方にたどりつくんだと思うんですけど、流石にテレビや雑誌で取り上げられてる人たちはやりすぎかなーって思います。
だから、もっと現実味を帯びたミニマリストさん達が紹介されると嬉しいなーと日々思う僕でした。
ということで、今日の内容は終わりなのですが、一つ良いことを考えました。
メンタリストのDaiGoさんが読んだ論文によると、人の習慣は定着するまで約66日かかるそうです。
つまり、66日毎日更新できたらそれはもう習慣が定着したと考えても良さそうなので、67日目から新しい取り組みをしようかなーと思います。
それは、更新を隔日にして記事の質をあげるということです。
やっぱり自分で書いていても、内容が薄いし、読みにくい記事だなーと思うので改善が必要なのはわかってるんですけど、習慣が定着していないときにハードルが少しでも上げてしまうと、執筆から遠ざかってしまうと思いました。
なので、習慣が定着しているであろう66日目から、もう少し執筆のハードルを上げて、皆さんの生活に少しでも役に立つような記事をアップしていきたいと思います。
それまでは駄文でばかりで申し訳ないのですが、少しでも僕の考えてることに興味を持ってくださった方は、記事を読んでいただけると嬉しいです。
それでは今日はこの辺で。
今日もお相手はつゆきでした。
つゆき